国際経済運営の日米欧協力 5

南の人口増加に関連していえば、いくつかの途上国における食糧問題、自然環境破壊の深刻化、ということも付け加えておく必要があるでしょう。


そして第5に、以上のような諸不均衡の拡大は、1970年代とちがって、1980年代になってからは、原油価格が傾向的に大幅に低下する、という事態のなかで生じました。


経済におけるさまざまな国際間の不均衡・格差の発生ないし拡大の原因は、通常、1国の責任であることは少なく、関係当事国の共同責任であることが普通です。


それは、取引が複数の国で行なわれているという単純な事実からも推察がつくはずです。


責任の軽重はある程度あるかもしれないが、1国の「独り相撲」であることは稀です。


不均衡が拡大していれぽ共同の責任であるはずなのに、現実にはこれまで他人を責めるのに誰もが急でした。


過去の活動経済をふり返ると、特定の分野で特定の成功をおさめたいくつかの例をあげることはできます。


しかし、全体としてみれば高い評価は与えられません。


アメリカについては「双子の赤字」が世界全体の批判のマトになり、日本については、世界の各地で「日本叩き」がみられるように、対応の貧しさと遅さが問題でした。


それぞれの国には、それぞれの言い分も反論もあるでしょうが、それが通用しないことは、すでにのべたように株式市場や為替市場から警告をうけました。

国際経済運営の日米欧協力 4

この不均衡拡大は、アメリカをはじめとする多くの国で保護主義的傾向を強める要因となっています。


日米間の不均衡は、両国の経済構造の調整が思うように進行しなかったことの反映です。


第3にこの経常収支の不均衡の結果、アメリカの対外資産状況は悪化し、1985年には対外債務国に転落し、1987年末にその累積額は4千億ドルに達したと推計されます。


もちろん、その債権.債務の内容は、開発途上国のそれとくらべて健全ですから、負債金額を誇大視してはならないでしょうが、増加傾向に歯止めがかからないとやはり危険な時限爆弾です。


一方、日本は、いまではイギリスを抜いて世界最大の純債権国になりました。


ただ、その大部分は対アメリカ、それも政府債購入というかたちでの証券投資であったところに問題があります。


第4に、この間、南北の経済格差はほとんど解消せず、人口の増加率が南が高いこともあって1人当たり所得格差はむしろ拡大しました。


その集約的帰結が、1987年末に1兆280億ドルにも達した累積債務残高にあらわれています。


デット・サービス比率(1国の年間の中長期債務の元利返済額をモノおよびサービスの輸出額で割った値。ある国の債務負担の重さや返済能力の有無を測る物差しで、20%を超えると黄信号)は23%にも達しました。


国際経済運営の日米欧協力 3

たとえば、第1次オイル・ショック以後あまり予想されなかった第二次オイル・ショックがおきて、せっかくの好転の兆しの芽をつんでしまったこともあります。


また、イラン・イラク戦争が泥沼化し、アメリカがその種の問題に精力を割かざるをえなかったこともあるでしょう。


しかし、大部分の責めは、現実には各国が国際協調政策でなく自国本位の経済政策をとり続けてきたことにあります。


すでに、1986年のマドリッドでの日米欧委員会総会ではこの点を分析、指摘しておいたが、主要国の行動はひき続きほとんど変わらなかったのです。


日本では国際経済通の宮沢喜1氏が大蔵大臣になって、ようやく経済政策の明確な転換が図られました。


またレーガン政権も、株式および為替市場からの警告で、1987年末にやっと事態の深刻さに気づきました。


とくに80年代に入ってからの時期に、世界経済がどのように変わってきたか、というよりむしろ悪化してきたかということについては、いくつかの指標をあげることができます。


第1に、ここ数年間、先進国の平均成長率は年々逓減しつつあります(1984年4・1%、85年3・1164%、86年2.7%、87年2.5%)。


もちろん、そのいくぶんかは資本主義に特有の景気循環の下降局面ということで説明できますが、生産性(経済成長とほとんど同義語)の停滞を示す1面もあることも確かです。


第2に国際間の国際収支、とくに日米間でその不均衡が著しく拡大したことです(1984年の日米の経常収支の格差〈幅〉は約1400億ドルでしたが、それが87年には2400億ドルにまで拡大しました)。

国際経済運営の日米欧協力 2

この2人は、現代を代表する政治家(政治屋でない、本当のステーツマン)であり、物事の考え方が歴史的・グローバルで、哲学的洞察に満ちているだけでなく、きわめて現実的であるという特質を持っています。


2人は、1971年に世界の通貨制度が変動相場制に移行したこと、それが円滑に運営されず、また1973年秋の第4次中東戦争に触発された石油事情の激変が、新しい型のインフレ、資金循環、エネルギー供給を通じて、第二次大戦以降の世界経済秩序の枠組みを変更するものであるとの認識をいち早くつかみました。


そして、これら問題に対する対応は、それまでのようにアメリカのイニシアチブにのみ任せていたのでは有効でないと考えました。


アメリカはいまでも依然、世界最大の経済的・政治的影響力を持つものです。


しかし、その相対的地位は変化し、また世界経済での相互依存度の高まりは、必然的に欧州主要国の協力を不可欠にするとの認識を持っていました。


同時に、このときまでに、すでに世界経済に対する影響力を強めてきたアジア唯一の工業国、日本にも参加を求め、その責任と役割を分担させるのが適当だと考えました。


・・・事実、いま顧みると、こうした事態の認識はきわめて的確であったといえます。


アメリカ1国ではもちろんのこと、主要国の協力なしに解決できる問題はありません。


ただ残念なのは、問題に対する解決があまり進んでいないということです。


途上国の債務ひとつをとってもそれは増え続けたし、日米間の貿易不均衡も2度のオイル・ショックのあとを除けば、傾向としては拡大し続けました。


もちろん、そうなったことについては、いくつかの同情すべき事情もあります。

国際経済運営の日米欧協力

日米欧委員会・東京総会での提言市場からの重大な警告1987年10月19日(月曜日)に、ニューヨーク市場で株価が急落(ピーク比マイナス36%)し、それがたちまちのうちに東京・ロンドンをはじめ世界各地に波及しました。


さらに、その余震がおさまらないうちに、ドルがかなりのスピードで下落しました。


この株式および為替市場における出来事は、短期的性格を持った悪材料(たとえばアメリカの貿易収支の遅々たる改善、アメリカでのジリジリと上昇する物価と金利)が集中的に重なったため生じた面もあり、またコンピュータによるプログラム売買の人知に対する"からかい"の一面もありました。


高官の不用意な発言も影響したでしょう。


・・・しかし、もっと真面目に考えれば、これは主要国の経済政策と国際協調の実態に対する市場の重大な警告でした。


つまり、その警告は、各国の指導者と政府が、演説では国際協調を幾度も声高にくり返しながら、じつのところ行動では「市場」を納得させるだけのものを、その年の2月のルーブル合意のあとでさえも採用してこなかったことに対して発せられたものです。


1975年にはじめて、今日サミットと呼ばれている主要先進工業国の首脳会議が開かれました。


それは、当時、フランスと西ドイツのそれぞれの指導者であったバレリー・ジスカールデスタンとヘルムート・シュミットのイニシアチブによるものでした。

資本輸出国になった日本 4

結論的にいえば、私は第3のケース、つまり、積極的内需拡大型が国際協調という観点からは最ものぞましいと考えます。


これはいわゆる機関車論でもありますが、ただ1978年当時とは内外の経済環境がちがっていることに注意する必要があるでしょう。


しかし、いずれにしても、ケースCの場合でも、それが成功するためには、諸国とくに日米欧諸国の協調的協力が不可欠の前提です。


1978年のボン・サミットでは、日本および西ドイツが世界経済の「インフレなき成長」のために機関車の役割を果たすことになりました。


その試みは日本の場合に、内需拡大・経常黒字縮小をもたらして成功しましたが、財政赤字を残しました。


これ(内需拡大)を財政赤字と短絡的に結びつけ、今回は機関車の役割を演ずべきでないという議論があります。


しかし、それは正しくありません。


当時と現在は石油事情もインフレの状況もまったくちがうし、当時の日本の事後処理にも問題がありました。


反省すべき点は反省すべきだし、機関車を何で動かすかという方法はいろいろ工夫すべきですが、今日でも日本は機関車の役割を果たすべきでしょう。

資本輸出国になった日本 3

本試算には大胆でしかも現段階では不適切な前提条件もあるので、数字自体は幅をもって読まれるべきです。


また、いずれのケースも、すべての人(政策目標)を満足させるというものではないですから、現実には選択はもちろん、政策のアクセントのつけ方にも民主的な討議を必要としましょう。


3つのケースそれぞれについて評点(得失)をつけてみました。


つまり、ケースAの場合は、財政均衡という点ではすぐれていますが、他の基準では概してのぞましくありません。


経常収支の対GNP比は現在とあまり変わらないのです。


ケースBの場合は、円高でインフレは最も落ち着きますが、刺激政策がなければ国内のデフレ効果が最も大きいです。


ケースCの場合は、多くの点でのぞましく、1990年には経常黒字の対GNP比はほぼ2%にまで低下します。


ただし、財政赤字比率は3ケース中、最も高くなりますが、それでも税収増で1990年には現状の比率よりは低くなります。


・・・以上の3つのケースいずれの場合も、経常収支の黒字の絶対額が大きいのは、前述の諸政策のうち輸入市場開放効果が織り込まれていないためで、実際にはその効果分だけ差し引くべきでしょう。

資本輸出国になった日本 2

従来の証券投資に加えて、今後は相手国の雇用増大、合理化に役立つ海外直接投資、技術移転、それに政府開発援助(ODA)を総合的に組み合わせて、世界経済の発展と安定に貢献すべきです。


・・・以上の政策を実施した場合、どれくらいの効果が期待できるかを計量的に予測することは、不確実要因が多く、困難です。


したがって、多くの欧米諸国と同じように、日本政府が公式的目標数字を公表し、これに拘束されることは必ずしも好ましくない、という声も多いです。


しかし、そのような効果の数量的予測がなければ政策の説得性がないことも事実です。


そこで私は若干の仮定をおいて、日本経済の将来(1986~90年)について3つのケースを描き、問題点を明らかにすることを試みました。


いま、アメリカ経済の成長率、石油価格等について若干の仮定をおき、そのうえで、A政策変更なし、B政策変更なく、円高がいっそう進行した場合、C国際協調型シナリオの3ケースについて経済の姿を試算してみるました。

資本輸出国になった日本

1986年にかぎっていえば、いわゆる為替レート調整のJカーブ効果(円高でも、外貨建ての貿易収支黒字がすぐには減らない現象)がありました。


そのうえ、日本の輸入のなかで比率の高い石油をはじめとする一次産品価格の低下がありますから、数量ベースの輸出入量は縮小ないし逆転していますが、ドル表示の貿易黒字はむしろ増加したのです。。


したがって、内需拡大を含む経済構造調整策の国際収支面への効果が確実に定着するには中長期の努力の継続が必要です。


しかし、それでも経常収支の黒字は残ります。


それは、


1.1986年の時点で日本の輸入弾性値(国民所得の伸びに対する輸入の伸び)が低く(1975年第14半期~1983年第24半期で0・74)、他方、輸出弾性値(輸出相手国の所得の伸びに対する日本の輸出の伸び)が高いからです。


それがもっと変わるまで、高めの成長が必要なのです。


そして、近年の増大する海外投資の結果、海外収益の還流で貿易外収支の赤字が縮小し、長期的には黒字に転化することも予想されるからです。


このことは日本が「資本輸出国」になったことを意味しています。

沖縄の歴史

沖縄島に人間が住んでいた痕跡は、こんにちでは旧石器時代にまでさかのぼることができます。


そしてこの島と周辺の南西諸島には、南太平洋の島島から北上してきた人びとや、中国大陸の南の沿岸から渡ってきた人びとや、日本本土から南下してきた人びとがいただろうと推定されています。


・・・とすると、それらの島々が日本文化圏にふくまれているところからみて、たぶん九州あたりから南下してきた人びとがもっとも多いのではないかと考えられています。


そして、彼らは鉄器文化をもたらして先住民を支配し、各地で按司となって、やがて離国を統一したのだろうと考えるのが、もっとも自然だといえます。


「琉球開闢之事」は、なおつづけて、アマミクが人間をつくったあと、人間を守護する神をつくったことを記しています。


その守護神は、キミマモン(君真物)といいます。


そのキミマモンに陰陽二神があって、オボツカグラの神は天神、ギライカナイの神は海神だとして、それらの天神海神の由来と機能を記しているのです。


こうした歴史を勉強してから沖縄ツアーに行くと、より旅行が楽しいものになります。

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