国際経済運営の日米欧協力 3
たとえば、第1次オイル・ショック以後あまり予想されなかった第二次オイル・ショックがおきて、せっかくの好転の兆しの芽をつんでしまったこともあります。
また、イラン・イラク戦争が泥沼化し、アメリカがその種の問題に精力を割かざるをえなかったこともあるでしょう。
しかし、大部分の責めは、現実には各国が国際協調政策でなく自国本位の経済政策をとり続けてきたことにあります。
すでに、1986年のマドリッドでの日米欧委員会総会ではこの点を分析、指摘しておいたが、主要国の行動はひき続きほとんど変わらなかったのです。
日本では国際経済通の宮沢喜1氏が大蔵大臣になって、ようやく経済政策の明確な転換が図られました。
またレーガン政権も、株式および為替市場からの警告で、1987年末にやっと事態の深刻さに気づきました。
とくに80年代に入ってからの時期に、世界経済がどのように変わってきたか、というよりむしろ悪化してきたかということについては、いくつかの指標をあげることができます。
第1に、ここ数年間、先進国の平均成長率は年々逓減しつつあります(1984年4・1%、85年3・1164%、86年2.7%、87年2.5%)。
もちろん、そのいくぶんかは資本主義に特有の景気循環の下降局面ということで説明できますが、生産性(経済成長とほとんど同義語)の停滞を示す1面もあることも確かです。
第2に国際間の国際収支、とくに日米間でその不均衡が著しく拡大したことです(1984年の日米の経常収支の格差〈幅〉は約1400億ドルでしたが、それが87年には2400億ドルにまで拡大しました)。